アラフィフさばいばる日記

アラフィフ、息切れ中。なんとかまともに生きようとあがいてる日々の記録です

『ヴォリーズ満喜子の種まく日々』〜障害を乗り越えて〜

『負けんとき ヴォリーズ満喜子の種まく日々』を、やっと読了。

いや、面白かったのです。内容自体は。
もともとなぜこの本を手に取ったかというと、レトロ建築が好きで、ヴォリーズの建築物も好きだったから。

レトロ建築が好きだと自覚したのはつい数年前のことだけれど、子供の頃から「好きだな」「素敵だな」と思っていた建物のうちかなりの数がヴォリーズによるもので、この本の存在を知って飛びついてみたのだった。

本を読んで「え、あの建物も!?」という驚きもたくさんあった。
さらに、何となくヴォリーズも帝国ホテルなどを設計したライトのように、数年日本にいて本国に帰って行ったのかと思っていたら、とんでもない、戦時中に日本に帰化までしていたほど日本に深く関わっていたことも知れて、とにかく本の内容はとても面白かった。

それがなぜ「やっと読了」という事態になったかというと、登場人物にどうしても受け付けない人がいて、途中で読むのを休憩してしまったからだった。

『ヴォリーズ満喜子の〜』と題しているのでヴォリーズ氏との馴れ初めが主軸の一本かと思っていたのだけど、この本はあくまで満喜子さんという方の一生についてのお話で、ヴォリーズ氏と結婚するまでに(本当のことかどうかはさておきこの本の中では)満喜子さんは別の方との恋を経験してしておられる。
その方とはなんやかやでで結局結ばれなかったのだけれど、そのなんやかやの一つに横恋慕してきた女性の存在があって、私はその横恋慕女性に嫌悪感が募って仕方がなくなってしまった。

小説家の皆さまに聞きたいのだけれど(いや小説だけと言わずドラマでも映画でも)、なぜ惹かれあった恋人同士を引き裂くのに、横恋慕がよく登場するのでしょう?これに萌える読書の絶対数が多いのでしょうか。正直言って、私は「ああ、またこの手の障害ですか」と辟易しております。

あまり恋愛小説は読まなくなったので、私が最後に出会ったのは『マチネの終わりに』の横恋慕さん。小説のラストは希望を予感させるような終わり方だったけれど、既婚子持ちアラフォー(当時)の私には、「ええー、もうこの後泥沼じゃん?」としか思えなかった。子供が可哀想・・・と、小説全体の面白さは吹っ飛びモヤモヤだけが残った(ネタバレ?)。

そんな調子で読むのを中断した『ヴォリーズ満喜子の種まく日々』、しかしその後のヴォリーズ氏の活躍がやっぱり気になり、結局もう一度手に取り、読了した。
横恋慕さんは最終的にはいい仕事をしたし、ヴォリーズ氏が戦後にアメリカ占領下の日本に貢献したエピソードなどが知れて、最後まで読んでよかった!と思っている。

今回はこの小説の本当の価値は吹っ飛ばずに済んだようです。