アラフィフさばいばる日記

アラフィフ、息切れ中。なんとかまともに生きようとあがいてる日々の記録です

オンラインでパスポートを更新

パスポートを更新した。

はじめは最寄のパスポートセンターに出向いて手続きしようとしていたのだけど、調べていたらマイナンバーカードがあればスマホでオンライン手続きできるとあったので、トライしてみることにした。

まずマイナンバーカードを持っているだけではダメで、ポータルサイトに登録しなければならない。

そしてスマホで顔写真を撮影しておく。

それからポータルサイトから申請手続き開始。たいして難しくないし、パスポートにスマホを重ねるだけで色々情報を読み取ってくれて楽ちん。

拍子抜けするほどあっさりと手続きは終わり、数日経った今日、新しいパスポートを受け取りにパスポートセンターへ。

平日の午前中だがそこそこたくさんの人が待合にいるのを尻目に、スマホに受付票を表示させてカウンターで提示、受領証をもらったらそれを持って収入印紙をもらいにいく。

収入印紙を貼ってもらった受領証をまたカウンターに行って提出すれば、新しいパスポートが発行された。

パスポートセンターでの滞在時間は15分もかからなかったと思う。

通常なら、写真をどこかでお金を払って撮影し、パスポートセンターで順番待ちをしてから用紙を提出して申請、後日再びセンターへ行って発行。

少なくとも2回センターへ出向くところを、オンラインなら1回で済むし、写真撮影代もかからない。メリットしかないな!と感激したのだが、きっとまだたくさんの人が従来通りの方法で申請するんだろうなあ。

こういう時、真っ先に浮かぶのは我が夫のこと。
夫は筋金入りのデジタル音痴である。タクシーをアプリで呼ぶのは私の仕事だし、コロナのワクチン接種の申し込みだって私が代わりにやった。

ワクチン接種の時は私のスマホから申し込み出来たけれど、しかしパスポート申請の場合、自分のスマホでなければ無理。夫のスマホを使って代わりに申請する自分を予想し・・・ああ、面倒くさい。下手したら受け取りにもついて行かなくちゃいけないじゃん。いや、ないわー。

ここは知らないフリをして、本人に直接窓口で申請してもらおう、うん。

まあうちの夫は極端な例だろうけど、直接行った方が安心、という人はきっと多いだろう。でも、こんなに楽ちんなのになあー。勿体ないことである。

ひとりがやれることは小さいけれど

生ゴミからコンポスト(堆肥)を作っている。
我が家には庭はないので、ベランダでも作れる、LFCコンポストという会社のキットを利用している。

ベランダにポンと置いていても違和感のないフェルト製のトートバッグの形をした容器と、コンポスト基材が最初に届き、そこに適宜生ゴミを投入・かき混ぜて、微生物の力を借りてコンポストを作っていくもの。匂いもないし、虫もたまにしか遭遇しない。

コンポストを始めたきっかけは、うちのゴミ箱の匂いが気になったから。水気の多い生ごみをまとめるゴミ箱は、掃除していてもやはり臭くなる。それに、水気があるので重い。

そこまで熱心な方ではないけれど、環境問題にも興味はある。
コンポスト作りの環境におけるメリットは、生ゴミコンポストにして、それを使って野菜を育て、その野菜を食べ、出たゴミをまたコンポストにする。そうやって循環させることで環境への負荷を減らすことができる、と言われる。

コンポストを始めてから、明らかに生ゴミの量が減り、ゴミの総量が軽くなった。それだけでやった甲斐があるのだけれど・・・残念ながら、出来たコンポストを使った野菜作りはうまくいっていない。

もともと植物を育てるのが下手なうえに、うちのベランダの日当たりがイマイチなので、トライしてみたもののうまく育たず、未だ収穫はない。循環を途中でぶった斬っている感がして申し訳なくなってくる。

もちろん私のような人のため、LFCさんでは堆肥の回収会や、農家さんに送る企画(収穫物もいただける)などもされているのだけれど、回収会には車のない我が家は参加しにくいし、農家さんに送るにもわりとしっかりと参加料が必要。コンポスト基材も2ヶ月に一度購入しているし、作るにも環境に役立てるにもお金がかかるのって、いったいどうなの・・・。

コンポストは溜まり続ける一方だったけれど、いよいよ困った時は菜園をやっている友人に引き取ってもらうことができるようになり、最終手段の廃棄には至らず済んでいる(送るのに送料かかるけど・・・これぐらいなら致し方ない)。

とはいえ、時々アホらしくなることもある。私一人が頑張っても頑張らなくても、環境への影響には大差ないんじゃない?って。

それでも、ゴミが軽い、匂いがない、環境にもちょっとだけ貢献してしているいい気分。これらをよすがに続けている。

そういう消極的ユーザーの気持ちを見透かすように、基材が送られてくる時に時々、LFCさんからのお手紙が入っている。
今回の内容はこんな感じ。
「今回のコンポストが出来上がると、なんと200kgの生ゴミを焼却せずに循環したことになります。CO2(二酸化炭素)で換算すると98kgも削減。これはご自宅のエアコンをつけるのを534時間も我慢したことになるのです!生ゴミを循環しつづけることにより、地球の寿命を確実に延ばすことができているのです」

そこまで言ってもらうと、もうちょっと頑張ろうかな、と思う。私以外の誰かが、私の行動の結果を把握してくれていることがちょっと励みになる。ひとりがやれることは小さいけど、でも積み重ねることが大事なんだろうな。

ちなみに、今回はさらに小さなゆずジャムがおまけでついてきた。どこで作られたゆずかはわからないけれど、その肥料には必ず誰かのコンポストが使われているはず。同じコンポスト会社の循環のはしっこにいる身として、間接的には関わった(かもしれない)ゆずジャムを、紅茶に入れてみた。甘くてちょっとほろ苦かった。

 

『ヴォリーズ満喜子の種まく日々』〜障害を乗り越えて〜

『負けんとき ヴォリーズ満喜子の種まく日々』を、やっと読了。

いや、面白かったのです。内容自体は。
もともとなぜこの本を手に取ったかというと、レトロ建築が好きで、ヴォリーズの建築物も好きだったから。

レトロ建築が好きだと自覚したのはつい数年前のことだけれど、子供の頃から「好きだな」「素敵だな」と思っていた建物のうちかなりの数がヴォリーズによるもので、この本の存在を知って飛びついてみたのだった。

本を読んで「え、あの建物も!?」という驚きもたくさんあった。
さらに、何となくヴォリーズも帝国ホテルなどを設計したライトのように、数年日本にいて本国に帰って行ったのかと思っていたら、とんでもない、戦時中に日本に帰化までしていたほど日本に深く関わっていたことも知れて、とにかく本の内容はとても面白かった。

それがなぜ「やっと読了」という事態になったかというと、登場人物にどうしても受け付けない人がいて、途中で読むのを休憩してしまったからだった。

『ヴォリーズ満喜子の〜』と題しているのでヴォリーズ氏との馴れ初めが主軸の一本かと思っていたのだけど、この本はあくまで満喜子さんという方の一生についてのお話で、ヴォリーズ氏と結婚するまでに(本当のことかどうかはさておきこの本の中では)満喜子さんは別の方との恋を経験してしておられる。
その方とはなんやかやでで結局結ばれなかったのだけれど、そのなんやかやの一つに横恋慕してきた女性の存在があって、私はその横恋慕女性に嫌悪感が募って仕方がなくなってしまった。

小説家の皆さまに聞きたいのだけれど(いや小説だけと言わずドラマでも映画でも)、なぜ惹かれあった恋人同士を引き裂くのに、横恋慕がよく登場するのでしょう?これに萌える読書の絶対数が多いのでしょうか。正直言って、私は「ああ、またこの手の障害ですか」と辟易しております。

あまり恋愛小説は読まなくなったので、私が最後に出会ったのは『マチネの終わりに』の横恋慕さん。小説のラストは希望を予感させるような終わり方だったけれど、既婚子持ちアラフォー(当時)の私には、「ええー、もうこの後泥沼じゃん?」としか思えなかった。子供が可哀想・・・と、小説全体の面白さは吹っ飛びモヤモヤだけが残った(ネタバレ?)。

そんな調子で読むのを中断した『ヴォリーズ満喜子の種まく日々』、しかしその後のヴォリーズ氏の活躍がやっぱり気になり、結局もう一度手に取り、読了した。
横恋慕さんは最終的にはいい仕事をしたし、ヴォリーズ氏が戦後にアメリカ占領下の日本に貢献したエピソードなどが知れて、最後まで読んでよかった!と思っている。

今回はこの小説の本当の価値は吹っ飛ばずに済んだようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「年齢的なもの」による足の痛み

1年ほど前のことになるが、足が突然あちこち痛くなった。

まず、外出中に右足指の裏が突然痛くなり、歩行困難に。外出を控えて様子をみると楽になるが、外出するとまた痛むので、形成外科を受診した。そこで「モートン神経腫かも」と言われた。

治療法は注射や手術と言われたが、不用意に足の神経をいじってはならないと警戒心が湧いてきたので、他の足裏専門のクリニックを探して再受診した。

そこで言われたのが、「これはモートン神経腫ではないですね」。何らかの名前のついた症状はなかったが、治療として足裏のマッサージをされ、自宅でも行うようにと指導を受けた。原因もはっきりしたものはなく、強いて言うなら「年齢的なもの」。

同時に、幅の狭い靴はもう履かないように、と言われた。ハイヒールはもちろん、スニーカーでも、とにかく足指が靴に接しているものはよろしくないとのこと。薦められたのは3E幅の靴。あー、もうヒールや華奢な靴でお洒落はできないんだな・・・とちょっと悲しくなった。

この頃は外反母趾や疲れるという理由からとっくにフラット靴を愛用していたが、冬のブーツなどはやはりある程度ヒールがある方がスッキリ見えるし、バレエシューズのような華奢な靴を履きたい時もある。それにだいたい、幅広の靴って、ダサいじゃないですか・・・おばあちゃんとかが履いてるような、アレ??

しかし意識が向くとちゃんと必要な情報は手に入るもので、これまで素通りしていた店が、実は3E専門の靴屋だと分かった。デザインもベストとは言えないが許容範囲だし、お値段も高過ぎない。ここで2足買い求め、その後も月に一度通院すること3ヶ月、すっかり足は痛まなくなった。手術なんて受けないで、本当によかった。

 

足裏はどんどん良くなるのに対し、この頃足の他の部位にも支障が出ていた。ふくらはぎとか太ももに痛みが出るのだ。

これも形成外科で診てもらいエコーで検査してもらったが、問題なし。原因も「強いて言うなら年齢的なもの」。出たよ、「年齢的なもの」。

治療らしいものはなかったが、その代わり併設のリハビリ施設で理学療法士さんの指導のもと、筋トレとストレッチの指導を受けることになった。

私の太ももの筋肉は、皮膚のしたでうまく伸び縮みができていないらしく、膝を曲げると太ももの裏の皮膚にシワが寄るようになっていた。普段私は運動らしい運動をしていない、さもありなん。そこで太もも裏の筋肉のストレッチを行い、同時に踵を上げ下げしてふくらはぎの筋肉を鍛えることを指導された。自宅では筋トレだけの時間を取るのが面倒なので、ふくらはぎの筋トレは歯磨きとドライヤーで髪を乾かすときにやると決めた。続けていると、ただ突っ立って歯磨きしているとムズムズするようになったので、習慣付けに成功したと思う。

リハビリは2ヶ月ほど通って自宅でも続けた結果、足の不調はなくなった。

足裏のマッサージにしろ、ストレッチにしろ、つまり年齢が上がると筋肉が硬くなるのでそれをほぐす必要があるということがこの数ヶ月で分かった。そういえば齋藤孝さんも著書の中で書いておられた、「50歳以降には身体の柔軟性が大事、身体を動かせ」と。

そう言えば最近、いろんなことが億劫になっている流れでストレッチをサボっていたら、ギックリ腰になった。また習慣に戻さねば。

 

「年齢的なもの」には身体の柔軟性が大事。たぶん、心にも。

 

 

 

無気力沼、脱出の試み

某月某日、年明け以降くらいから、ずーっと無気力である。

「行きたい!」や「したい!」と思うことが極端に少なくなり、いろんなことが億劫。

更年期と低血圧のせいもあってか、特に午前中は使い物にならないことが多い。

予定を入れていないと、ゴロゴロとテレビの録画やネトフリを観てあっという間に午前中が終わる。

ひどい時は午後もあっという間に過ぎ、子供が学校から帰ってくる時間になって慌てることもたまにある。

そして後に残るのは凄まじい罪悪感と自己嫌悪。

はっきり言って、私がゴロゴロしていても、誰にも迷惑かけていない。

午前中ゴロゴロしていたって洗濯はちゃんとやってる。夕方には取り込んでたたむ。

ゴミ出しもやってるし、家族の食事はちゃんと作ってるし、食器洗いだって溜めてない。

私は私に求められた仕事はちゃんとやっているし、空いた時間をどうしようと私の自由。

だけど、世の中がちゃんと動いている以上、今この瞬間にも誰かがちゃんと働いていているということに罪悪感を覚える。

そしてちゃんと動いている世界の中で、一人取り残されているような孤独感も感じる。

じゃあ何かすればいいのだけど、それが思いつかない。やりたい!という情熱がわく物事もない。

でも現状が続くのは、精神的にやられそうである。

罪悪感と自己嫌悪で病気になりそう。

というわけで、ライフログ的にこのブログを始める。

私のこの状態が、生来の怠け癖なのか、更年期とか体力のなさからくるのかよくわからないけど

(生来の怠け者と自覚するのはショックだが)、

未来の私が「何もしてないけど、ブログだけは続けてるんです」とか言えるようにしてあげることを目指す。

えいえいおー。